「アニメーション事業者協会」発足までの道のりの一端を示した参加呼びかけの用紙(1990年7月)。アニメーション各社にFAXなどで送信したものと思われます。
「アニメーション事業者協会」は当時、「日本アニメーション協会」という仮称を使用していたことがわかります。(ちなみに「アニメーション事業者協会」は動画連盟や動画協会とは別組織です)。
呼びかけ文にはこう書かれています。
「出来る 出来ないの議論をしても不毛なので、このような意見は一切取り上げません。協会設立にこだわる諸問題を、具体的にひとつひとつ検討し、解決策を見出して、出来れば発足にこぎつけたいと思います。」
当時まだ、過密スケジュールと自転車操業の経営苦の中、事業者の協同組織を作るのは不可能だ、無駄だという意識があった事をあらわしています。
銀座デモ後、2000年代中盤まで、アニメーションの各労働組合、アニメーション事業者協会、日俳連は、関係労組や市民団体などと協力しあいながら、定期的に会合を開いたり、市民や業界に働く人々に訴えた集会を行なったりしてきました。
関連記事:
感動を呼んだ11.30アニメの集会
アニメコンとは?