その2
前回の「東映動画・漫画映画時代」で、練馬区の大泉に東映動画設立を1956年としましたが、東映アニメーションのホームページ
東映アニメーション/会社案内には56年「昭和31年 7月に、東映株式会社が日動映画株式会社を買収、東映動画株式会社へ商号変更」とあり、練馬区の大泉に社屋を移転したのはその翌年のことで57年「昭和32年 1月、製作所を東京都練馬区東大泉へ移転」とありました。訂正してお詫びいたします。
東映動画が活動を開始した頃、おとぎプロダクション、電通映画社、学研映画部なども短編の漫画映画を製作していました。しかし、その存在感は、映画館の大画面で長編漫画映画を毎年のように公開する東映動画が圧倒していました。
アニメーションを製作するすべての作業工程をもち、500名を超えるスッタッフを抱えた東映動画は、意図せずにテレビアニメの誕生を準備してゆきます。
テレビアニメーションの誕生
1953年に誕生したテレビでは、国産のCMアニメーションが活躍していました。そのテレビで、アニメ番組を、と夢見た人が手塚治虫氏です。手塚さんは、1958年、東映動画の「西遊記」で漫画映画の世界を体験してアニメのスタジオをつくる決意をします。
手塚さんは、1961年に練馬の富士見台にスタジオをつくりました。それが虫プロダクションです。最初のスタッフは6名。そのほとんどが東映動画出身でした。
そして、1963年1月に、日本初のテレビアニメ番組「鉄腕アトム」が誕生しました。
放送開始とどうじに、アトムは爆発的なヒットとなり、その成功に刺激され「鉄人28号」「エイトマン」などでCМ製作会社のТCJが、「狼少年ケン」で、東映動画がテレビアニメの世界にデ ビューし、虫プロの後を追いかけます。
国産テレビアニメ誕生期の番組本数
「アトム」が登場した63年に6本ものテレビアニメが登場し、翌64年新番組が3本、65年は9本と、アニメ番組は増減をくりかえしながらも、次第に子ども番組の中で大きな位置を得ていきました。
それが、アニメ制作のあり方を大きく変えて行くことになります。(A)