その3
新番組の登場に呼応し、アニメの製作プロダクションも年毎に増えていきました。
63年の虫プロ、ТCJ、東映動画に続き、64年にピープロ、東京ムービー。65年にテレビ動 画、タツノコプロ、日放映、と続き、63年から72年までの10年間に24社の製作プロダ クションが誕生します。

そして、その多くが前回紹介した東映動画同様に、アニメ制作のほとんどの工程を社内にを抱え、百人から数百人という社員を抱えたものでした。「日本アニメーション映画史」(山口且訓 渡辺泰共著 有文社)によれば、虫プロダクション(旧社)でも、1968年(昭43)には250名いたそうです。
ところが、1960年代の後半から70年代前半にかけて、この製作会社が軒並み経営危機にぶつかります。69年にピープロとテレビ動画が経営にゆきづまって解散。同じ年にチルドレンズ・コーナーが倒産します。更に、1973年暮れに虫プロダクション(旧社)、74年に第一動画、テレビ動画などが倒産。さらに、大広、ピープル、日放映などの製作会社も、いつの間にかテレビアニメの世界から消えてゆきました。(つづく)